人の死に触れるたびに思うことがあります。
「人の時間には終わりがある。」
頭ではわかっているつもりでも、身近な人との別れや、お通夜・お葬式に参列すると、その事実が急に現実味を帯びてきます。
だからこそ、「今日」という一日は当たり前ではないのだと、改めて感じるのです。
そんなことを考えていたら、私は今の自分の選択を振り返っていました。
私は数年前まで正社員として働いていました。
毎日時間に追われ、仕事と家事と育児をこなす生活。
もちろん仕事にはやりがいもありましたし、収入がある安心感もありました。
でも、どこかでいつも思っていました。
「私は何のために生きているんだろう。」
気づけば、一週間が終わり、一か月が終わり、一年が終わっていました。
子どもは少しずつ成長しているのに、私は毎日をこなすことに精一杯。
「このまま時間だけが過ぎていくのかな。」
そんな不安を、心のどこかで抱えていました。
生活はできている。
でも、心だけが追いついていないような感覚があったのです。
もちろん働くことは大切です。
生活するためにはお金が必要ですし、生きているだけで支出はあります。
だから、「働かなくてもいい」と言いたいわけではありません。
でも、人の死に触れたとき、改めて思いました。
限りある時間を、私は何に使いたいんだろう。
私が出した答えは、とてもシンプルでした。
子どもたちの成長を見届けたい。
そして、自分自身の人生も大切にしたい。
その思いから、私は正社員を辞めるという選択をしました。
もちろん、不安はありました。
今もあります。
収入は減りましたし、「この選択で良かったのかな」と考える日もあります。
ブログを書いていますが、まだ大きな結果が出ているわけではありません。
好きなことを仕事にしたいと思っていますが、その道が正しいのかもわかりません。
それでも、一つだけ胸を張って言えることがあります。
私は、この選択を後悔していません。
子どもたちは毎日少しずつ成長しています。
昨日できなかったことが今日できるようになったり、何気ない会話の中で成長を感じたり。
そんな小さな変化を近くで見られることが、私にとっては何より幸せです。
子どもたちの成長は、一度見逃したら二度と戻ってきません。
だから私は、その時間をできるだけ近くで見届けたいと思いました。
そして、自分の時間も持てるようになりました。
本を読んだり、美術館へ行ったり、ブログを書いたり。
誰かと比べたら小さなことかもしれません。
でも、その時間があるからこそ、私は「私」でいられる気がしています。
以前、私は車に轢かれそうになったことがあります。
幸い無事でしたが、あの日、一歩タイミングが違っていたら、今ここにはいなかったかもしれません。
その出来事があってから、「今生きている時間はボーナスタイムなのかもしれない」と考えるようになりました。
時間は、当たり前に続くものではない。
そう実感した出来事でした。
そして今回、人の死に触れたことで、その思いはさらに強くなりました。
だから私は、「いつかやろう」ではなく、「今」を大切にしたい。
子どもたちの笑顔を見る時間も、自分が好きなことに夢中になる時間も、どちらも私の人生です。
私は母親ですが、それだけではありません。
一人の人間として、好きなものがあり、やってみたいことがあります。
その気持ちも、大切にしながら生きていきたい。
もちろん、これから先も悩む日があるでしょう。
お金の不安がなくなるわけでもありません。
それでも、人生の最後に振り返ったとき、
「仕事だけして終わった人生だった」と思うより、
「大切な人との時間を過ごせてよかった」
「好きなことにも挑戦できてよかった」
と思える人生でありたい。
そのために、私は今の時間を選びました。
未来がどうなるかはわかりません。
それでも、この選択だけは後悔していません。
だから私は、今日という時間を、自分らしく生きていきたいと思います。
そして、この記事を読んでくださった方にも、一つだけ問いかけてみたいことがあります。
今、自分が一番大切にしたいものに、ちゃんと時間を使えていますか。
仕事でも、家族でも、趣味でも、一人で過ごす時間でも構いません。
答えは人それぞれ違っていいと思います。
でも、一度立ち止まって考えてみるだけで、時間の使い方は少しずつ変わっていくのかもしれません。
今日という時間は、誰にとっても一度きりです。
だからこそ、「いつか」ではなく、「今日」をどう過ごすかを大切にしたい。
そんなことを、この出来事が私に教えてくれました。
人生は有限だから。
だから私は、これからも自分が大切だと思える時間を、一つひとつ選びながら生きていきたいと思います。



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