35歳になって、気づいたことがある。
昔より、周りの目を気にしなくなった。
もちろん、まったく気にならないわけじゃない。
人前で失敗すれば恥ずかしいし、「変に思われていないかな」と考える日だってある。
でも20代の頃の私は、今とは比べものにならないくらい、周りの目を気にしていた。
服を選ぶ時も、
「これを着たい。」
ではなく、
「これなら変じゃないかな。」
で選んでいた。
誰かに嫌われないように。
ちゃんとした大人に見えるように。
空気を読める人だと思われるように。
そんなことばかり考えていた気がする。
だから、人に合わせることは得意だった。
でも、自分が何をしたいのかは、あまりわかっていなかった。
ブログを書き始めた頃もそうだった。
記事を書き終えても、公開ボタンを押せない。
「こんなことを書いて大丈夫かな。」
「変な文章だと思われないかな。」
何度も読み返しては、閉じる。
読み返しては、また閉じる。
誰にも何も言われていないのに、一人で勝手に読者を想像して、不安になっていた。
今も誤字は気になるし、読みやすさも気になる。
でも最後は、
「私はこれを書きたかった。」
そう思えたら公開する。
アクセス数ももちろん嬉しい。
でも、それ以上に、自分が納得できる記事を書けたかどうかの方が大事になった。
その変化は、自分でも少し驚いている。
考えてみると、周りの目を気にしなくなった理由は、自信がついたからではなかった。
むしろ逆だった。
私はようやく、自分の取り扱い方がわかってきたのだ。
朝、一人の時間がないと疲れやすいこと。
本を読むと頭の中が整理されること。
コーヒーを飲みながらぼんやりする時間が必要なこと。
予定を詰め込みすぎると、笑えなくなること。
以前の私は、そんな自分を知らなかった。
疲れているのに、
「まだ頑張れる。」
と言い聞かせていた。
一人になりたい日は、
「わがままなのかな。」
と思っていた。
でも今は違う。
「今日は休もう。」
「今日は静かな時間が必要だ。」
そんなふうに、自分に合わせた選択が少しずつできるようになった。
私が朝の休憩たいむを好きだったのは、サボっていたからじゃない。
『鎧』の記事を書いた時も思った。
鎧を脱ぐ時間が必要だったからだ。
あの時は、「休むこと」がテーマだと思っていた。
でも今ならわかる。
あれは、自分の取り扱い方を覚え始めた時間だった。
どんな音楽を聴くと落ち着くのか。
どんな時間があると笑顔で過ごせるのか。
どんな時に疲れてしまうのか。
そんな小さなことを知るたびに、自分との付き合い方が少しずつ上手になっていった。
すると、不思議なことが起きた。
周りの目が、前ほど気にならなくなった。
きっと、自分のことを知らなかった頃は、答えを全部外に探していたのだと思う。
「私はこれでいいですか。」
「間違っていませんか。」
「嫌われませんか。」
誰かに答えをもらわないと、不安だった。
でも、自分のことを少しずつ知るようになると、
「私はこれが好き。」
「今日はこうしたい。」
そんな小さな答えを、自分で持てるようになった。
だから、人の意見を聞かなくなったわけじゃない。
ただ、最後に決めるのは自分になった。
35歳になって思う。
歳を重ねるということは、何かができるようになることだけではない。
自分の説明書が、一ページずつ増えていくことなのかもしれない。
「この時は休んだ方がいい。」
「この本を読むと元気になる。」
「朝の15分があると、一日をご機嫌で過ごせる。」
そんな説明書が増えるたびに、生きることが少しずつ楽になっていく。
周りの目を気にしなくなったわけじゃない。
気にしすぎなくなった。
それは強くなったからでも、自信がついたからでもない。
自分の取り扱い方が、少しずつわかってきたから。
誰かの正解ではなく、自分に合う正解を選べるようになったから。
35歳。
ようやく私は、自分の一番近くにいる”自分”と、少しずつ仲良くなれてきた気がする。


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