考えすぎる私は、いつも「正解」を探していた。

At my fancy

私は昔から、考えすぎる性格です。

相手が何気なく言った一言を何度も思い返したり、

「あのとき、違う言い方をしていたらどうなっていただろう」

と考えたり。

何かを決めるときも、

「これで合っているのかな」

と、なかなか自信を持てませんでした。

以前は、この性格があまり好きではありませんでした。

もっと気楽に考えられたらいいのに。

もっとすぐに切り替えられたらいいのに。

そう思うことが何度もありました。

でも最近になって、少しずつ分かってきたことがあります。

私はただ「考えすぎる人」だったわけではない。

人の顔色を伺いながら、自分にとっての正解を探していたのだと思います。


「自分の意見」より、相手が求める答えを探していた

以前の私は、人と話すときに相手の表情をよく見ていました。

今、どんなことを考えているんだろう。

この人は、私に何を言ってほしいんだろう。

私の意見を聞きたいのか、それとも別の答えを求めているのか。

そんなことを、無意識のうちに考えていたのだと思います。

特に仕事では、それがよく表れていました。

会議で意見を求められても、

「私はこう思います」

と、自分の考えをそのまま話すことが苦手でした。

まず相手の表情を見る。

その場の空気を見る。

上司が何を求めているのかを考える。

そして、相手が求めていそうな「正解」を自分の意見として発言する。

それが、自分にとっては当たり前になっていました。

たとえ、それが本当の自分の考えとは正反対だったとしても。

今思えば、かなり不思議なことをしていたと思います。

「自分はどう思う?」

と聞かれているのに、

「この人は、私に何て答えてほしいんだろう?」

と考えていたのです。


人に合わせているほうが、都合がよかった

どうしてそんなことをしていたのだろう。

今の私は、少し分かる気がします。

人に合わせているほうが、都合がよかったのです。

自分が思っていることを話さなければ、否定されることも少ない。

相手の考えに合わせていれば、場の空気が悪くなることもない。

「それ、私は違うと思う」

と言わなければ、嫌われる可能性も低くなる。

もしかすると私は、ずっと嫌われることを怖がっていたのかもしれません。

だから、自分の気持ちよりも相手の気持ち。

自分の意見よりも、その場の空気。

自分がやりたいことよりも、相手がやりたいこと。

そんなふうに、少しずつ自分を後回しにしていたのだと思います。


「モネットさんって、自分の意見がないよね」

そんな私に、ある日、こんなことを言った人がいました。

「モネットさんって、自分の意見がないよね」

その言葉を聞いた瞬間、私は思いました。

そんなの、あるに決まっているじゃない!

あなたに合わせているだけなのに。

あなたが求めている答えを考えて話しているのに。

どうしてそんなことを言われなくてはいけないの?

正直、少しイラッとしました。

でも、その一方で、別の感情もありました。

「あれ?」

と思ったのです。

もしかして、この人は私に合わせてほしいわけではないのかもしれない。

私自身の意見を聞きたいと思っているのかもしれない。

そのことに、私は少し驚きました。


私の意見を聞きたい人もいる

私はそれまで、

「人は相手に合わせてほしいもの」

だと思っていたのかもしれません。

だから、相手の気持ちを読み取って、相手が心地よい答えを返すことが、人付き合いの正解だと思っていました。

でも、そうではなかった。

相手の考えを聞きたいと思う人もいる。

自分とは違う意見を聞きたいと思う人もいる。

「あなたはどう思う?」

と、本当に私自身の考えを知りたいと思ってくれる人もいる。

考えてみれば、私だってそうでした。

誰かと話をするとき、相手が何を考えているのか知りたいと思う。

自分と違う意見を聞くのも嫌いではない。

なのに私は、

「相手もきっと私と同じように、私に合わせてほしいと思っている」

と勝手に思い込んでいたのです。

このことに気づいたとき、少しだけ目の前が明るくなったような気がしました。


『コンビニ人間』を読んで考えたこと

以前、コンビニ人間を読みました。

主人公の古倉恵子は、「普通とは何か」を考え続ける人物です。

私は恵子の考え方すべてに共感したわけではありません。

でも、「普通でいたい」という気持ちは、とてもよく分かりました。

人と違うことを言うのは勇気がいる。

悪目立ちはしたくない。

周りと同じほうが安心する。

だから、周りに合わせる。

そんなふうに生きている人は、きっと私だけではないと思います。

この本を読んだことも、自分自身を考え直すきっかけの一つになりました。

「私は本当はどうしたいんだろう」

「私は本当はどう思っているんだろう」

以前より、そんなことを考えるようになったのです。


考えすぎることは、悪いことばかりじゃない

私は今でも考えすぎます。

誰かに言われた一言を、あとから何度も思い返すこともあります。

「あれはどういう意味だったんだろう」

「余計なことを言ってしまったかな」

と考えることもあります。

だから、突然「何も気にしない人」になったわけではありません。

でも、以前とは少し違います。

考えすぎている自分に気づいたとき、

「また考えすぎてる」

と、自分を責めるのではなく、

「私は今、相手の気持ちを気にしているんだな」

と思えるようになりました。

そして、もう一つ。

「相手の答えを探す前に、自分はどう思っている?」

と、自分に問いかけるようになりました。

これだけでも、私にとっては大きな変化です。


自分の意見を言うことは、わがままではなかった

以前の私は、自分の意見を言うことに少し怖さがありました。

自分の意見を言ったら、相手と違ってしまう。

違うことを言ったら、嫌われるかもしれない。

だから、相手に合わせる。

でも今は、

「意見が違うこと」と「相手を否定すること」は別なんだ

と思えるようになりました。

私はこう思う。

あなたはそう思う。

それだけのことなのです。

もちろん、今でも相手の顔色を見てしまうことはあります。

長年そうしてきたのだから、すぐに変わるわけではありません。

それでも最近は、自分の気持ちを一度確認してから答えるようになりました。

「私はどうしたい?」

「本当はどう思っている?」

「誰かに合わせるためではなく、自分で選ぶならどれ?」

そうやって考える時間を、少しずつ持つようになりました。


「考えすぎる自分」を、嫌いにならなくてもいい

私は昔、考えすぎる性格を変えたいと思っていました。

もっと気楽になりたい。

もっと何も気にしない人になりたい。

でも今は、完全に変わる必要はないのかもしれないと思っています。

考えすぎるからこそ、人の気持ちに気づけることがあります。

慎重だからこそ、失敗しないように考えることもできます。

人の言葉を深く考えるからこそ、誰かの気持ちを想像できることもあります。

ただ、その優しさを理由にして、自分をいつも後回しにしなくてもいい。

それを少しずつ覚えているところです。

考えすぎる自分も私。

人の顔色を気にしてしまう自分も私。

でも、その中にちゃんと「私はこう思う」という気持ちもある。

以前は、それを隠していたのかもしれません。

今は、その気持ちにも少しずつ耳を傾けてあげたいと思っています。

「モネットさんって、自分の意見がないよね」

あのときは、正直ちょっと腹が立ちました。

でも今振り返ると、あの言葉は私にとって大きな気づきをくれた言葉でした。

私の意見を聞きたいと思ってくれる人もいる。

そう知ることができたから。

だから今は、相手の顔色から正解を探す前に、一度立ち止まってみる。

そして、自分に聞いてみる。

「私は、本当はどう思ってる?」

すぐに答えが出なくてもいい。

考えすぎる私だからこそ、ゆっくり考えればいい。

そうやって少しずつ、自分の気持ちを置き去りにしない生き方を覚えていけたらと思っています。

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