あらすじ
『明日は、いずこの空の下』は、上橋菜穂子さんが高校生の頃から訪れたさまざまな国での出来事を綴ったエッセイです。
旅先で出会った人々や文化、価値観との出会いを通して、「あの頃の私」が「今の私」になっていく過程が描かれています。
異国の風景を紹介する旅行記というよりも、一つひとつの旅が人生にどんな意味を与えてくれたのかを静かに語る一冊です。
「旅の本」だと思って読み始めました
私は最初、この本を旅のエッセイだと思って読み始めました。
さまざまな国の文化や風景を楽しめる一冊なのだろう、と。
もちろん、それも間違いではありません。
でも読み進めるうちに気づきました。
この本は、旅の話ではなく、
「人生で経験したことは、いつか自分をつくっていく」
そんなことを教えてくれるエッセイだったのです。
名前をつけると、ただの「もの」ではなくなる
特に印象に残ったのが、「名付けてはいけません」というお話です。
著者がハンガリーを訪れたとき、市場にはクリスマス料理になる鯉がぎっしりと詰められた水槽がありました。
ハンガリーでは、クリスマスまで鯉を自宅の浴槽で生かしておく家庭もあるそうです。
ところが、一緒に過ごすうちに子どもたちが鯉に名前をつけてしまう。
すると愛着が湧き、料理の日になると泣きながら命乞いをする。
そんなことが増えた結果、クリスマスになると鯉をドナウ川へ逃がしに行くお父さんたちの姿が風物詩になったというエピソードでした。
そこで著者はこう書いています。
「名付けなければ気安く扱えたのに、名付けたとたん、扱いにくい何かに変わってしまうなんて、やっぱり、コイは、うかうか名付けちゃいけませんなぁ」
私は思わず笑ってしまいました。
でも同時に、「確かにそうだな」とも思ったのです。
名前をつけるだけで、不思議なくらい愛着が湧くことがあります。
我が家にも、娘たちが名前をつけたぬいぐるみがたくさんあります。
片付けようと思っても、
「この子はまだ置いておこう。」
そんな気持ちになってしまう。
気づけば私まで、
「今日は○○ちゃんを洗濯しようかな。」
なんて話しかけるようになっていました。
名前をつけるということは、その存在を「もの」ではなく、「大切な存在」に変えてしまう力があるのかもしれません。
旅は、未来の自分への贈り物だった
もう一つ心に残ったのが、「十七歳の夏からの遠い旅」というお話です。
著者は、自分を「超がつく怠け者」と表現しています。
家が散らかっていても、本を読みながらのんびりしていられたら幸せ。
その一文を読んで、私は思わず笑ってしまいました。
「なんだか私と似ているな。」
そんな親近感を覚えたのです。
そんな著者が学生時代から海外へ旅をするようになり、その経験が、後になってこのエッセイを書くことにつながっていきます。
作家としてスランプに陥っていたとき、これまで旅してきた日々を書く仕事の依頼を受けたそうです。
そのとき著者は、
「からっと明るい異国の空が見えて、気もちの良い風が頬を撫でたような心地になった」
と綴っています。
私は、この一節がとても好きでした。
過去の経験は、そのときすぐに役立つとは限りません。
でも、時間が経ってから思いがけない形で人生につながることがあります。
あの旅があったから、今の仕事がある。
あの経験があったから、今の自分がいる。
そんなふうに、一つひとつの出来事が点ではなく線になっていくのだと感じました。
経験に、無駄なものはないのかもしれない
この本を読み終えて思ったのは、
「経験は、すぐに意味を持たなくてもいい。」
ということでした。
今やっていること。
今感じていること。
今出会った人。
その一つひとつが、何年後かに自分を支えてくれる日が来るかもしれません。
だからこそ、新しいことに挑戦したり、知らない景色を見たり、人と出会ったりする時間は、決して無駄ではないのだと思います。
読み終えて思ったこと
『明日は、いずこの空の下』は、旅のエッセイでした。
でも私には、「人生のエッセイ」として心に残りました。
旅をすることだけが経験ではありません。
子育ても、仕事も、読書も、誰かとの出会いも。
今の自分が積み重ねている毎日は、いつか未来の自分を支える経験になっているのかもしれません。
だから私は、目の前の出来事を「今すぐ意味があるか」で判断するのではなく、「いつか人生につながるかもしれない」と思いながら、大切に過ごしていきたいと思いました。
そして、この本を閉じたあと、こんなことを考えました。
今日の経験は、未来の私にどんな景色を見せてくれるのだろう。
その答えはまだ分かりません。
でも、だからこそ毎日を少しだけ大切に生きてみたくなる。
そんな気持ちにさせてくれる一冊でした。



コメント