毎朝、私は鎧を脱いでいる。
子どもたちを学校へ送り出し、夫を仕事へ見送る。
家の中が静かになる。
部屋着のまま、お香を焚く。
好きな音楽を流す。
コーヒーを淹れる。
本を開く。
たった15分、長くても30分ほどの時間。
この時間が、私はたまらなく好きだ。
でも、どうしてこんなにも好きなのか。
最近まで、その理由が自分でもわからなかった。
ある日、何気ない会話の中で気づいた。
私は休憩しているんじゃない。
鎧を脱いでいたんだ。
外へ出る前の私は忙しい。
きつーい補正下着を身につけ、服を着て、化粧をする。
アクセサリーをつけ、腕時計をつけ、眼鏡をかけ、髪を結ぶ。
バッグの中身を確認し、水筒を用意する。
母として。
妻として。
社会の中の一人として。
私は毎日、たくさんの鎧を身につけて外へ出ている。
その鎧は嫌いじゃない。
必要だから着ている。
でも、一日中着ていると重たい。
だから家へ帰ると部屋着に着替える。
不思議なことに、その部屋着姿だけは家族以外に見られたくない。
近所を歩くおじいちゃんやおばあちゃんにすら、すっぴんを見られたくないと思う。
きっと部屋着の私は、一番無防備だからだ。
20代の私は、鎧を着ていることにすら気づいていなかった。
「ちゃんとしなきゃ。」
「嫌われないように。」
「期待に応えなきゃ。」
それが当たり前だった。
だから鎧を鎧だと思わず、それが自分だと思っていた。
30代になって、少しずつ苦しくなった。
どうしてこんなに疲れるんだろう。
どうして一人の時間がないと動けないんだろう。
その頃になって初めて、
「ああ、私は鎧を着ていたんだ。」
と気づいた。
その頃の私は、「休みたい」と思う自分をどこか怠け者だと思っていた。
家にいるのに疲れる。
やることは終わっているのに、何もしたくない日がある。
そんな自分が嫌だった。
「もっと頑張れるはず。」
「みんな当たり前にやっている。」
そうやって、自分に言い聞かせることの方が多かった。
でも今振り返ると、足りなかったのは頑張りではなかった。
ただ、鎧を着たまま走り続けていただけだった。
どんなに自分を守ってくれる鎧でも、一日中身につけていれば重たくなる。
肩も凝るし、呼吸もしづらくなる。
それなのに私は、鎧を脱ぐことを「甘え」だと思っていた。
本当は違う。
鎧を脱ぐ時間があるからこそ、また着ることができる。
そして35歳になろうとしている今。
ようやく私は、
鎧の脱ぎ方
を考え始めている。
面白いことに、私の朝の休憩たいむは五感でできていた。
お香の香りで深呼吸をする。
好きな音楽を聴き、心を落ち着かせる。
コーヒーを飲み、本のページをめくる。
私は静かな時間が好きなんだと思っていた。
でも違った。
大事なのは、
私が好きだと思えること。
誰かが「癒やされる」と言ったものではなく、
私の心が動くもの。
その時間だけは、誰にも合わせなくていい。
今日、一番驚いたことがある。
私は一人になりたかったわけじゃなかった。
私は、肩書きを脱ぎたかった。
母でもない。
妻でもない。
ブロガーでもない。
誰かに期待される私でもない。
ただの私。
その時間だけは、役割を一度床に置く。
何者でもない私がそこにいる。
だから休憩だったんだ。
そして今、ようやく一つだけわかったことがある。
20代は、鎧を鎧と知らなかった。
30代で、その存在に気づいた。
そして35歳になる私は、
少しずつ鎧の脱ぎ方を覚えようとしている。
鎧は悪者じゃない。
私を守ってくれたものだから。
だから捨てる必要もない。
必要な時は着ればいい。
疲れたら脱げばいい。
私にとって朝の休憩たいむは、
鎧を脱いで深呼吸する時間だった。
そしてまた、
新しい一日を歩き始めるための時間だった。
今日で35歳。
ようやく私は、
鎧を着ることより、鎧を脱ぐことを覚え始めた。



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