人生のボーナスタイムだと思った日

At one’s fancy

昨日、車に轢かれそうになった。

幸い車のスピードがゆっくりだったこともあり、大事には至らなかった。でも、もしあと少しタイミングが違っていたら、私は今ここでこの文章を書いていなかったかもしれない。

ただ、お昼に休みだった夫と近所のお蕎麦屋さんへ行こうと思って家を出ただけ。

それだけのことで、人生は終わってしまうこともあるんだ。

そう思った瞬間、今まで当たり前だと思っていた「明日」が、決して当たり前ではないことに気づいた。

家に帰ってからも、しばらく動悸が収まらなかった。

「あの時もう少し車のスピードが速かったら」「あと一歩前に出ていたら」そんな”もしも”が何度も頭をよぎった。

そして不思議なことに、怖さと同じくらい、「まだ生きている」という安心感も湧いてきた。

普段は当たり前すぎて意識しない「今日」という一日が、とても特別な時間に感じられた。

少し落ち着いてから、ふと考えた。

私はいつも、「いつかやろう」と思っていることがたくさんある。

読みたい本。

行ってみたい美術館。

旅行で都道府県を全制覇したい。

書いてみたいブログの記事。

挑戦してみたいこと。

「今はいいや。また今度。」

そんなふうに先延ばしにしてきたことが、実はたくさんあった。

でも、「いつか」は誰にも約束されていない。

昨日の出来事は、その気持ちをもう一度思い出させてくれた。

だからといって、毎日全力で頑張らなきゃいけないとは思わない。

私は、家でのんびり過ごす時間も大好きだ。

お気に入りのコーヒーを飲みながら本を読んだり、何もしない時間を楽しんだりすることも、私にとっては大切な時間だから。

でも、心が「やってみたい」と動いた瞬間だけは、大切にしてあげたいと思った。

「もう少し落ち着いてから。」

「時間ができたら。」

「いつか。」

そうやって先送りにするのではなく、小さな一歩だけでも踏み出してみよう、と。

実は半年前に仕事を辞めてから、私は「何も前進していない」と思っていた。

もっと子どもたちと過ごす時間が欲しい。自分が納得できるような子育てをしたい。

そう思って選んだ道だったけれど、その一方で「社会人として取り残されてしまうんじゃないか」と不安になる日もあった。

だけど振り返ってみると、ブログを書き始めたり、本を読む時間が増えたり、自分の生き方について考えたりと、少しずつ前に進んでいた。

変化は派手じゃない。

でも確かに、一歩ずつ歩いていた。

昨日、もしあの瞬間に人生が終わっていたら、この時間は存在していなかった。

だから今は、この毎日が「人生のボーナスタイム」のように思える。

ボーナスタイムというと、ゲームで制限時間が延びたり、ご褒美の時間が与えられたりするイメージがある。

昨日の私も、まさにそんな感覚だった。

本当なら終わっていたかもしれない時間を、私は今も生きている。

だからといって、何か特別なことをしなければいけないわけではない。

お気に入りのコーヒーを飲んでほっとする時間も、本を読んで心が動く時間も、子どもたちと笑い合う時間も、私にとっては全部「ボーナスタイム」なのだと思う。

特別な一日ではなく、何気ない今日を大切にできる人でいたい。

せっかく与えられた時間なら、自分が大切だと思うことを大切にしながら生きたい。

そんなことを、昨日の出来事が教えてくれた。

このブログも、『いつか書こう』ではなく、『今日書こう』と思ってパソコンを開いた。

私は昔から、出来事には何かしら意味があると思っている。

だからきっと、この日の出来事は、「当たり前に過ごせる今日を大切にしなさい」というメッセージだったのかもしれない。

果たして、ここまでを考えて日々を過ごしている私は、少し考えすぎなのかもしれない。

でも、それも私らしさ。

これからも私は、出来事の意味を考えながら、少しずつ自分なりの答えを見つけて生きていきたい。

今日という一日を、大切にしたい。

昨日の出来事は、その気持ちを改めて私に教えてくれた。

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